ヴァイオレット・エヴァーガーデンは子供向け
 

 感動映画やアニメを調べていたら、えらく評価が高かったので観た「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」ですが……
 
結論からいうと、「小さな女の子向けのおとぎ話」でした。
 「
シンデレラ」と「人魚姫」と「あしながおじさん」を混ぜて、さらにSFファンタジー要素で補って少女漫画にまとめたアニメ。

 僕的には、かなり期待はずれでした……

 義手がオーバーテクノロジー過ぎる、というような設定のおかしい点は、あえて突っ込みません。
 
わざわざ記事にしたのは、こんな「おこちゃま向け童話」のようなアニメが絶賛されてることに、どうしてもモノ申したくなったからです。

 シンデレラでもいいんです。あしながおじさんもいいですよ。
 それが、お子様向けの作品なら。

 けど、いい大人が、このアニメを観て「超感動」なんて、それはどうなの??
 ……と思い、記事を書くことに。

 何が気に入らないかって、この作品のヒロインであるヴァイオレット・エヴァ―ガーデンと、そのお相手であるギルベルト少佐は、非常に傲慢で自己中な人物であるにもかかわらず、それがまるで、崇高な純愛のような扱いをされているからです。
 こんなチープな男女の話に共感者が多数いるなんて、人の倫理観がズレてるんじゃないか??
 と思ったからです。

 とはいえ、単なる少女漫画だと思えば、盲目的な恋愛も構わない。
 もともと少女漫画ってそういうのが多いから。

 でも、「戦争」を背景の軸に据えたドラマとなると、話は別なんです。
 いい大人が、こんな陳腐な話に感動するのはいただけない。

 こう書くと、「うるせーアンチ」「嫌なら観るな」と言われそうですが、元々色眼鏡で観始めたわけではありません。
 むしろ、感動アニメという前評判を聞いて、期待して観たんです。
 それに、「?」を感じ始めた途中でも、自分が世界観に馴染めてないだけかと思って、溶けこもうと努力しながら観ましたよ。

 ……けど、やっぱりダメでした。
 一度挫折するも、思い直して最後まで観て、それでも釈然としないから劇場版まで観ましたが、むしろ余計に評価を下げることに。

 以下、ネタばれもあるので、観た人だけ読んでください。

(以下、ネタばれあり)

 とにかく受け入れられないのが、ヒロインである主人公とギルベルト少佐が強く惹かれあう動機。
 最初から最後まで、気高さや美しさを全く感じられず、むしろ嫌悪感しかない。

 まず、出会いが主人公9歳くらい、ギルベルト24歳。
 そして、出会った時のヴァイオレットは、言葉もまともに喋れず、ただの戦闘ロボットだったという。

 何故わざわざ、筋力も運動神経も未熟でひ弱な幼女を戦闘ロボットに仕立てようとしたのかとか、そうした設定のおかしさはこの際ほおっておく。

 で、そこから5年ほどの間、ギルベルトはヴァイオレットを育てたわけですが……

 そんな幼女を「心から愛してる」って、ロリコンかよ(笑)
 5年たっても、
14歳(中学二年)と29歳……アウトだろ(笑)

 もっともそこは、時代設定が現代とは違うとしても、初対面の段階で、赤の他人の9歳くらいの女の子に向かって、「君はきっとこの名前にふさわしい女の子になるよ」って言うシーンからして、最初からそういう眼で見てんのかって思ってしまった。
 
爽やかイケメンが言えば何でも許されるってことでしょうか(笑)

 そもそも、人が誰かを愛する理由って、人間性や価値観の一致や、相手への尊敬といった要素が一番重要だと思う。

 しかしギルベルトは、ヴァイオレットの一体何を尊敬し、人間性や価値観の一致を見出したのだろう??
 見た目か(笑)

 どんな命令も素直に従う、実直な人間性を憐れんだとして、「愛する」要素は何なのか??
 しかも、29歳のいい大人が、14歳の少女を。

 それに、ギルベルトとヴァイオレットは、軍隊で一体どういう共同生活をして、教育をしたのか。
 脳を操作してるといったSF的な設定でもない限り、9歳なんて、まだどうにでも染められる年齢だ。
 なのに、ヴァイオレットの言動からして、結局ギルベルトは、劇場版でも言っていたとおり、ヴァイオレットを道具としてしか育ててないよね?
 そんなんで、本当に愛してたと言えるのか??

 そもそも兵隊は、ロボットじゃないと務まらないわけじゃない。
 普段の兵舎暮らしでは、人間的な交流もできるはず。

 出会った時は、偏った教育しか受けていなかったとして、そこからの5年間、一体どういう生活をさせたのか??

 それこそ可憐な美少女なんだから、普通に軍隊生活してたって、兵士たちの間で人気者になって、多くの人から愛されていてもおかしくない。
 それに、9歳の幼女を戦闘員にするような時代なら、軍隊には10代前半の兵士が他にいてもおかしくない。
 せめて、少しでも歳の近い友達を作らせようとか思わなかったのか?
 それが、本当にヴァイオレットを大事にするってことじゃないのか?

 けれど、ヴァイオレットの人間関係や言動、振舞いからして、そうした人間関係を作らせていたとは思えない。
 ギルベルトは、普段の行動や戦場で、いつもヴァイオレットと帯同していたっぽいから、ギルベルトって結局、ヴァイオレットを自分の近くの中だけで囲っていた可能性が高い。

 まじロリコン(笑)

 はっきり言って、9歳の幼女に、あんな非人間的な教育しかしなかったギルベルトに対して疑問しか沸かない。

 ただ、ヴァイオレットは、経験は乏しくとも、文字の上での知識・教養はかなり深いような描写がされるので、ギルベルトは、軍隊という限られた制限下でも、色んな本など読ませて、情操教育も頑張っていた可能性もなきにしもあらずだが……

 結果が、あれじゃあねえ(笑)

 たぶん作者は、本来のヴァイオレットは優しい心と情緒を持っているけれど、生まれ育った環境からああなってしまった、という設定にしたつもりだろう。
 そこから、ドールという仕事を通じて、少しずつ人間らしさを知っていく物語……としたんだろうけど、そういう資質の持ち主なら、ギルベルトとの5年間の生活では、そうした情緒が目覚めるような、人間的な接し方はしなかったのか?? って思う。

 やっぱり、そういう教育も人間関係も作ろうとしなかったギルベルトがクズだと思ってしまう。
 
いくら軍隊生活だからって、非人間の集まりじゃない。
 やりようなんて、いくらでもあったはずだ。
 もっとも、ここは設定自体の矛盾と言えなくもないが……

 ただ、劇場版では、ヴァイオレットに対して、そうした扱いしか出来なかった後ろめたさがあるから、ギルベルトは姿を隠したってことになっていた。
 まあ、百歩譲って、軍では激しい制約があって、ギルベルトに出来ることには限りがあったのかも知れない。

 けど、それはそれとして、結果的に非人間的な言動しかとらない「ヴァイオレット」という幼女の、どの部分をギルベルトは愛したのか??
 そんな稀薄な人間関係で、「心から愛してる」なんて言葉がどうやったら出てくるのか??

 結局、可愛い見た目か(笑)

 ネットを見ていると、「ギルベルトはロリコン」という指摘をしている人は多いようですが、それに対するファンのコメントを見ていると、「二人の間にあるのは恋愛的な愛じゃない」「それを超えた愛」みたいな回答が多いけど、恋愛を超えた愛って何??
 それって「家族愛」くらいじゃないかと思うんだけど、戦後にギルベルトは、ヴァイオレットの面倒をホッジンズに丸投げして姿をくらましてるので、その美化した考えはどうにも認められない。
 親が娘を思うような気持ちで愛していたのなら、それこそ両腕を失い、ロボットのような教育しか施せていないヴァイオレットが社会で生きていけるよう、最大の理解者として一日でも早く側に行って面倒を見たい、と思うのが当然の親心だと思う。
 それを他の人間に丸投げは無責任過ぎてありえない……笑 

 そしてもう一つ、おかしい点。
 当のヴァイオレットは、ギルベルトに対して、「生きることの全てを教えてくれた」といって、本気で慕っている。

 え? なんで? ギルベルトは、あんたを道具としてか扱ってないんですけど?

 もっとも、軍隊しか知らないヴァイオレットだからこそ、ギルベルトがエディプスコンプレックスの対象になったという分析もできなくはないけど、それだけ特別に感じてるなら、なぜギルベルトに対しても、そんなロボットみたいな受け答えするのか??
 ヴァイオレットは一体、ギルベルトから何を学び、他の人と何に違いを感じてるのか??

 ヴァイオレットの発言も、「ギルベルトが全てを教えてくれた」とか言う割に、ギルベルトに対する具体的な思い出は「美しい緑色の瞳」のことばかり。

 結局、見た目か(笑)

 いずれにしろ、作品内の描写からは、ギルベルトとヴァイオレットが、特別深い愛情で結びつくプロセスが全く感じられません。
 こんな上っ面の人間関係に、真実の愛があるとは到底思えないわけです。

 だから、この物語で二人が惹かれあう関係に、全く共感ができませんでした。

 そして次の問題は、戦後のヴァイオレットの振る舞いです。

 あの、どう見てもオーバーテクノロジーにしか思えない義手は、一体誰が用意したのでしょうか。
 普通、戦争で手足を失ったからといって、義手や義足なんて手当してもらえません。
 オーバーテクノロジーであること自体は「アニメだから」だとしても、相当高価なはず。
 そして壊れても直してくれる。
 そして、いくら親友の頼みだからといって、過剰にヴァイオレットを保護するホッジンズ。
 そしてさらに、あんな変人であるヴァイオレットを受け入れ、温かく接する、周りの通信社の仲間たち。

 何が言いたいかというと、ヴァイオレットは、周囲からものすごく大事にされ、愛されてると思います。
 軍隊時代はともかく、戦争が終わってからは、手篤く保護され、多くの仲間、友人ができ、沢山の優しく素敵な人と接しています。

 なのに、それでもなお、そういう人たちに対して、ロボットのような対応しかしないヴァイオレット。
 どれだけ多くの人の優しさや親切に触れても、ヴァイオレットはそうした人たちに対して、感謝も好意も見せようとせず、ひたすら「ギルベルト」だけを慕い、日々追いかけている。

 ドールになってからは、ヴァイオレットを人間として接し、暖かく見守り、評価している人が沢山います。
 ドールとして、色々な人間の感情を知り、人間生活というものを理解し、だから優秀な手紙を書けるようになったはず。
 なのに、ヴァイオレットが感情を見せる相手は「ギルベルト少佐」を想う時だけです。
 素敵な仲間に対しては、笑顔の一つもなければ、言葉や対応も相変わらず機械的な受け答えしかしないヴァイオレット。
 これって、人としてどうなのか??

 冷静に考えたら、ひどく傲慢な人間です。
 アニメ的には、そうしたコントラストによって、ヴァイオレットのギルベルトへの想いを強調してるのだろうけど、これじゃあヴァイオレットに共感できない。

 これが、僕が最初に書いた「傲慢」です。

 ツンデレとか、他の人には冷たいけど、特定の相手にだけ優しいっていうようなギャップが魅力的に感じることはあります。
 けど、このヴァイオレットは、何一つ魅力的に感じられない。
 
優しい仲間や、自分のことを最大限に気遣ってくれている社長らに対して、事務的な対応しかしないのは非常に失礼というか、人間としてだめだと思う。
 本当に感情がないなら仕方ないが、ギルベルトのことになると感情を表に出すし、物語の進行とともに、ヴァイオレットは人間らしい気持ちを理解していったはずで、それこそがこの物語の軸でもあるはず。
 なのに、なぜ仲間に対してはそんなに冷たいの?

 つまり、そんな対応しかしないってことは、結局それだけ、周りの人間を軽んじてるってことです。
 
だから、そんなヴァイオレットが全然魅力的に見えないし、そんな女のギルベルトへの想いが気高くも思えない。

 細かい点ですが、本編でどうしても我慢ならなかったのが、戦地の兵士からの依頼で、恋人への手紙をヴァイオレットが代筆するシーン。
 そして、その兵士が息を引き取る直前に、バイオレットがその兵士にキスをしますが、あれが我慢ならない。

 ちょっと待てよ。
 今まさに、地元の恋人への想いを綴ったところだよね?
 なぜそこで、ヴァイオレットがキスをするんだ? それを兵士が望んだのか?
 これがもし自分なら、「まじやめろ! 冗談じゃねえよ!」って思いますよ。
 なんで死ぬ間際に、どこの馬の骨かもわからん女にキスされなきゃいけないんだよ。
 愛する人とキスしたいんであって、お前じゃねーよ! って。

 可愛い子のキスならお前ら嬉しんだろ? 遠慮せず喜べよ? 
 ってことですか。そういうことですか。

 逆に聞きたい。
 ヴァイオレットよ、ギルベルトの代わりに、他の男に抱きしめられ、キスされて嬉しいか?

 美少女にキスされたら無条件に美しいなんて、傲慢にもほどがある。
 あれがヴァイオレットの「優しさ」の発現だとしても、傲慢だ。
 可愛い女の子にキスされたら男は誰でも喜ぶものと思ってるのか?
 逆に言えば、女はイケメン相手なら誰でも抱かれたいんだろ? って話だぜ??

 この場面は、本当に理解できなかった。
 眠れぬ森の美女で、憧れの王子様がキスしてくれたらハッピーなことかも知れない。
 けど、この兵士にとっては、愛する人ははっきりしていて、少なくともヴァイオレットではない。
 なのに、「こんなに可愛いヴァイオレットちゃんにキスしてもらえて良かったね」みたいな展開は、微塵も受け入れられませんでした。

 あと最後に、劇場版で、ギルベルトが戦後に姿をくらました理由。

 ようは、ヴァイオレットに合わせる顔がないって話だが……あんたの人生って、ほんとヴァイオレットしかないんかい!!

 あんたには母もいれば、兄もいるだろう?
 あんたには、ヴァイオレット以外に友人や恩師とか、何の人間関係もないのか??
 何より、一番大事なはずのヴァイオレットの面倒はホッジンズに丸投げで知らんぷり。
 それで愛してると言えるのか??
 また、それを押し付けたホッジンズに対する感謝は??

 それに、ギルベルト「少佐」ってくらいだから、あんたの部隊には、数多くの部下がいたことだろう。
 そして、死んでいった多くの部下がいるはずだ。
 そうした他の仲間に対する気持ちは、一切ないのか?

 ここは、本当にひっかかる部分でした。
 アニメや漫画では、主要人物の命の重さは、他のモブキャラの命何十人・何百人分よりも重いなんてことはよくあることです。
 戦闘モノでは、どうしても表現が難しい部分ではあります。

 ただ、この物語は、そうした「戦災」そのものを、ストーリーの幹となるバックボーンに置いています。
 ヴァイオレットの不幸は、あくまで「戦争」を背景に成立しています。

 こうなると話は違う。
 申し訳ないがこれでは戦争を扱う資格はない。

 ギルベルトにとっては、他の何十人もの部下の命より、ヴァイオレット一人の「腕」のほうが重いのか。
 ヴァイオレットは、腕を失ったとはいえ、生きてるだけましじゃないか。

 アニメや映画では、主要人物がクローズアップされ、その背景でモブキャラがバタバタとやれれていくような表現になるのは、多少仕方ない。
 しかし、このアニメの中で回想される、ギルベルトとヴァイオレットの戦場でのシーンは、まるでこの2人だけが別世界のような表現……
 ヴァイオレットはギルベルト、ギルベルトはヴァイオレットのことで頭はいっぱいで、他の兵士が死のうが、知ったこっちゃない状態。

 ふざけんな。
 戦場で、指揮官が女とじゃれあってんじゃねえよ。

 「戦闘人形」だかなんだか知らないけど、任務として守るべき命が沢山あるだろう。
 ギルベルトだって、指揮官として考えなきゃいけないことがもっとあったはずだ。
 
なのに、この二人は、お互いのことしか見えてない。
 戦場でこれは、ありえねえよ。

 そもそも恋人同伴で戦いなんて務まらない。
 いくらアニメと割り切るにしても、戦争を通じての出会いと交流がストーリーのバックボーンなだけに、それがこんな、戦争をバカにしたような中身だと、腹立たしさすら覚えてしまう。

 そして戦争が終わると、ギルベルトはヴァイオレットに両腕を失わせてしまったことに負い目に感じ、だから姿を消したという。
 いやいや、その前に、命を失った部下や仲間がもっと沢山いるんじゃないの??
 姿を隠している理由が、ヴァイオレットの両腕のことだけ?
 そんな意識じゃ、あんたの指揮に従って死んだ仲間は浮かばれませんよ。
 せっかく生き残れたんだから、せめて親にはちゃんと言いにいこうよ。
 息子の戦死を、親がどれだけ悲しむことか。
 親不孝にもほどがある。

 劇場版の考察系で、ギルベルトを「自分勝手」と表するレビュアーは沢山いる。
 結局はヴァイオレットに対して、自分が傷つきたくないだけの話で、だからそれをホッジンズは「大馬鹿野郎!」と言ったのだと。

 いやいやいやいや、そんな軽い話で片付けんなよ。
 大学生の恋バナじゃねえんだよ。
 たかが惚れた女への後ろめたさだけで、全ての義理や信頼関係を断ち切るとか、もはや人間としてクズ。大馬鹿野郎じゃすまされない。
 逆に、それしきの理由で断ち切れるような人間関係しか築いていなかったとしたら、それはそれで別の意味でしょうもない男だ。

 とにかく、薄い。薄っぺらい。薄すぎる。

 戦場に巻き込まれた民間人カップルじゃないんだから、戦災が生んだ悲劇を描くなら、そのへんもうちょっとちゃんと描こうよ。
 こんなんだから、ヴァイオレットが思慕してやまないという「ギルベルト」という人間に全く魅力を感じず、この人でなければ、という必然性を感じない。
 結局、「綺麗な緑色の瞳をしたイケメンだから好き」ってことかよ。そういうことですか。 

 そもそも、見ただけで兵士と分かるのに、識別表がないというだけで遠くの病院に入れられる理由自体がよくわからないが(そもそも死にかけてるのに遠くの病院に運ばれたのが謎だが)、記憶を失ってるわけでもなければ、人様に言えないことをやってきたわけでもないのに、なんで姿をくらますんだ。

 ヴァイオレットを道具として扱ったあげく、両腕を失ったことに申し訳ないという気持ちの部分はわかるが、身内にまで完全に行方をくらますのはどうかしてる。ヴァイオレットに対してだけ、自分は死んだことにしてくれ、でいいじゃないか。
 ていうか、本気でヴァイオレットを想ってるな
ら、陰ながらでもヴァイオレットを支えろよ。なんでホッジンズに丸投げなんだよ。
 せめて、ホッジンズにはちゃんと事情を説明しろよ。

 キャラクターのこういうところが、あまりに自分勝手すぎて、共感しようがなく、もはや感動もへったくれもありませんでした。
 勝手に悲劇のヒーロー・ヒロイン気取りで自己陶酔してろって感じでもあるけど、そもそも戦争なめんなよ、って話。
 好きな子の腕を失わせたことにウジウジして雲隠れしてるロリコン男と、そんな男が死んだと思い、ひたすら悲劇のヒロインに浸って、周りの優しさも何もかも感じ取ろうとしない無神経女の、超安っっぽいドラマ。

 だから、「おこさま向け」なのです。

 この作品、ヴァイオレットの相手を29歳の少佐なんかではなく、歳の近い少年兵にしていたら、ずっと良かったと思う。
 戦うことしか教えられてこなかったみなしごのヴァイオレットが、似た境遇の少年兵と出会って、はじめて戦うこと以外の知識や接し方を知り、友情が芽生え、そこから愛情に目覚める……みたいなほうが、ずっと自然だったと思う。

 ラノベの女子読者層を意識して、王子様的イメージを持たせるために、それなりのステータス感のある「少佐」として、年齢は子供っぽくなく、少佐という役職でおかしくなさそうなギリギリ24歳にしたんだろうけど、結果的にその設定がバランスを崩したと思う。
 もっともその設定が女子ウケ的には良く、商業的にはマルなんだろうけど……

 ファンの人にはほんとすんません。
 劇場版まで観る人間は、ヴァイオレットエヴァーガーデンの世界観に共感している人ばかりだと思うので、ここまで批判する奴はいないと思いますが、批判目的で観たわけじゃなく、最後には納得のいく答えが得られるかと思って観た人間の結論として、こうなってしまいました。

 あと、感動したい人は10話を観ろ! という記述をよく見かけますが、死後に届く手紙やビデオレターとか、結構使い古されたプロットなので、自分的には展開が早くに読めたので感動できませんでした。色んな本や映画を観てきた大人なら、あの話に新鮮な感動は覚えないはず……
 これも「お子様向け」と思ってしまう理由の一つです。
  

 


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